「戦場のピアニスト」を観た

 12/2(土)、ロマン・ポランスキー監督「戦場のピアニスト」を映画館にて鑑賞した。

 ポーランドの音楽家であるウワディスワフ・シュピルマンを主人公とし、彼の第二次世界大戦における経験を描いている。実話を基にしているらしく、シュピルマン本人による著作『戦場のピアニスト』(春秋社・佐藤泰一訳)や、『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校』(白水社/ヘルマン・フィンケ著/高田ゆみ子訳)という本も出版されているらしい。

 

 1939年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻により開戦した第二次世界大戦において、ピアニストとして活躍していたシュピルマン含む多くのポーランド人の生活が変わっていく様を時間の経過とともに描いている。冒頭のシーン、ラジオ放送局での生演奏中、シュピルマンのいる建物が砲撃に遭うのは衝撃的だ。ユダヤ人はダヴィデの星の腕章を右腕に付けなければならない、という新聞記事にシュピルマンの父母兄弟は最初は当然拒否感情を示すが、次の場面が切り替われば彼ら皆が腕章を付けているのが、体制への反抗できなさを強調しておりつらい。また、イギリス・フランスの対ドイツ宣戦布告、イギリスのノルマンディー上陸、ロシアによるドイツ侵攻などの史実が、登場人物同士の噂話や新聞・ラジオという媒体によって囁かれたり知らされたりすることにより、当時を生きる人々の視点から描かれていることがわかる。

ユダヤ人のワルシャワゲットーへの移送、強制収容所へのユダヤ人移送、そして肉体労働を経て逃亡生活を強いられ、それらすべてを辛くも生き残るシュピルマンの経験は筆舌に尽くしがたいのは当然だが、シュピルマンユダヤ人の中でもいわゆる富裕層であると想像される。ゲットーの生活が描かれる際に場面の端々に映る物乞いや飢餓者を見ると、家を割り振られ食べ物に何とかありつけている様子のシュピルマン一家はまだましな方なのであろう(それでも、住む家を追われ過酷な生活を強いられ、果ては命を奪われているのだから当然ながら肯定はできない)。

また、ユダヤ人警察の権力者に友人がおり、彼のおかげでユダヤ人警察に拘束された弟を解放してもらえたり(結局彼は強制収容所送りになってしまうのだが・・・)、強制収容所への列車の列からシュピルマンのみ外してもらえたりという点でも運がよかったと言わざるを得ない。

 

 あと、シュピルマン役の俳優エイドリアン・ブロディがとてもよかった。おそらくピアノ一筋のボンボン息子というのが彼の演技によくハマっている。これまで肉体労働をしたことがなく、ユダヤ人労働所では他の楽な仕事を同僚から貰えたのは人道的な意味もあるだろうが、本人の何か憎めなさもあったのではないかという雰囲気を感じさせる。

 

 最後の方になると、場面切り替えの際のフェイドアウトがやや食い気味になり、シュピルマン本人の意識がいつ終わるともしれない逃亡の日々に意識が朦朧としていることを効果的に演出できているのではないだろうか。とても印象的だった。

 

 おそらくこれが本作の見どころであろう、ドイツ人将校のヴィルム・ホーゼンフェルトとの邂逅はまあなんとも言えない。実話に基づけば、彼はナチスの在り方に疑問を持つようになり60人ほどを救ったとされているが、本作だけを切り取ってみれば、シュピルマンがたまたま技能(優れたピアニストとしての)を持っており、そこに価値を感じたから救ったように見える。あと、彼がシュピルマンとの邂逅のあと、本部をシュピルマンの隠れる場所の階下に置いた後クローズアップされる彼のデスクには家族写真が飾られている。一貫して本作では、ポーランド人と比較してドイツ人の個別の人間性・背景に対する描写がなかったもののここで初めてその描写が出てくる。

 厳しいことを言うとまあなんかうまく言えないが、人間なのだから背景があるのは当然であり、それを急に相対化されても、だから何?という感じになってしまう。そういうお互いの立場を相対化したうえで生まれるもっと強い物語がほしいんだが(ほんとにうまく言えない、この辺はもっと深堀して考えていきたい)、本作にはそれを感じなかった。

 

あとこれは鑑賞後に知ったのだが、監督のロマン・ポランスキーは過去の性的暴行を告発されている人物のようで、その点踏まえて注意しながらの鑑賞とすることにしたい。